長昌寺は江戸初期(1646)に播州三田(現在の兵庫県三田市)に創建された浄土宗知恩院派の寺院。1645年に豊後杵築藩の初代藩主・松平英親(ひでちか)によって現在地に移転され、その直後となる1648~1651年ごろに完成した江戸初期の庭園とされる。昭和48年に市指定名勝に登録されている。
山門を潜り墓地横を歩いて書院西側へ向かうと市指定名勝の枯山水がある。庭園の入口にはドアがあるが鍵はかかっておらず、自由に見学できる。書院前には川砂利が敷かれ、石組に向かって大胆に飛石を敷いている。
まずは本庭園の主景となる石組を拝見。書院よりも西側の場所から撮影しているが、現在の書院は大正時代に改築されたもので、かつては、この視点場の延長線にある場所に書院があったのではないだろうか。
石組を図解。築山を活かして枯滝石組も設け、築山からの出島で亀出島と鶴出島を作っている。
こちらは左が鶴出島で、右が枯滝石組である。また築山から石橋を渡しており、一種の玉澗流とされる。玉澗流とは安土桃山時代に作庭家・上田宗箇(うえだ そうこ)によって生み出され、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフとなっており、代表例としては名古屋城 二之丸庭園が挙げられる。
枯滝石組を望遠撮影。右方上部から三段落としの滝石組となっており、最下段には水が勢いよく流れ落ちる様子を表現するために、2つに割れた石を置いている。また中央には三角形の巨石を置き、その手前に前方に傾斜させた平石を置き、全体として豪壮な滝石組となっている。
鶴出島はよく観察しないと分かりにくいが、置き灯籠の置いている石が洞窟石組になっている。また洞窟石組は手水鉢を兼ねていることから、飛石がこの石組まで敷かれているのである。
こちらは亀出島。
右手前が亀出島、左奥が鶴出島であり、鶴と亀が向かい合っているように配置している。
築山に登り長昌寺庭園を見下ろしてみる。
書院から飛石は築山南部の石組まで導かれている。書院から石組まで広い白砂敷きで敷かれてた例としては、特別名勝の南禅寺 金地院庭園があるが、石組に向かって飛石を長い敷いているのが珍しい。
○ | 力強い枯滝石組と築山から続く鶴出島、亀出島の風合いが良い。 |
× | 特に見当たらない。 |