曹洞宗の福増寺は、室町時代初期(1338)に創建されたと伝わる。その後衰退するが、江戸時代初期(1647)に現在地にて再興。書院前には江戸時代の枯山水、本堂横には高台寺や円徳院に修復に携わった作庭家・北山安夫氏による枯山水など計5つの庭園がある。
大海に見立てた白砂には岩島を置き、護岸石組に向かって夜泊石を配置している。夜泊石とは、不老不死の妙薬があるとされる蓬莱山に向かう舟が、夜のうちに船溜まりに停泊している姿を抽象的に表現したものである。すると、護岸石組の最上段にある立石は蓬莱山に見立てたものだろう。右手には三段落としの枯滝石組であり、滝下左に鯉魚石(りぎょせき)を据えている。鯉魚石とは、中国の鯉が滝を登ると龍になるという故事「登竜門」にちなんだ鯉を石に見立てたものである。もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したのを「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼ばれる。
平地は2016年に撮影された方の写真を確認すると、苔の野筋で出島が造られ、出島と出島の間に枯流れを設けていた。現在ではフラットになっているが、以前の姿を眺めてみたいと感じた。芝の築山には三尊石を組んでいる。
「非思量庭」南部には「七岩島」と名付けられた石組がある。
中門を抜け書院裏へ向かうと、「さざれ石のお庭」と名付けられた枯山水がある。江戸時代から続く庭であり、取材時は新型ウイルスの影響で、暫く整備されていなかったため、枯れ葉で覆われている。しかしながら、枯れ池を取り囲む石組は力強さを感じる。
特に画面中央の2石の立石は天を突くような意欲的な石組であり、景を引き締めている。
住職に頂いたポストカードに整備された当初の写真があったため借用。苔島の立石が「さざれ石」となる。現在の姿と比べると、苔島の形状だけではなく、石がだいぶ池中に埋まってしまっていることが分かる。一方、奥の枯池は現在のほうが植栽が少なく、石組本来の美しさが垣間見られる。植栽を最小限にして、苔島周辺をポストカードの状態になれば、北関東トップクラスの枯山水になるのではないかと思う。
「さざれ石のお庭」東部。後世に改修されているとのこと。中央奥には枯滝石組があり、石の大きさと丸みを帯びた弱さから江戸時代後期以降の様子を感じさせる。
本堂正面の池泉庭園「円月相庭 まんまる月の庭」。朱色の鐘楼にも登ることができ上から眺められる。
池泉の奥は、土と石だけの石庭風。このような造形の庭園は初めてみるもので、住職の説明によると、龍の姿をイメージしているとのこと。赤線が龍の背中であり、左端をよく見ると龍の頭になっていることが分かる。奥には巨石の三尊石がある。
土蔵そばには、平成27年(2015)に作庭された「陸奥の庭園 周防の海」がある。築山は岩国市に面した周防の海に浮かぶ柱島、その手前の岩島が続島と、実際にある島の名前が付けられている。
岩島「柱島」の周りには舟石で柱島の周辺に浮かぶ島を見立てている。福増寺は群馬県で最初に庭園ライトアップを行ったところであり、桜の開花する春には夜の庭園も楽しめるようだ。
案内図より引用。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 日本を代表する作庭家・北山安夫氏による日本庭園が関東で唯一みられる寺院。古庭園の要素が詰まっており、庭園の勉強にもなる。 |
× | 非思量庭の平庭部が2016年頃の出島が造られていた状態、そして「さざれ石の庭」の苔島周辺が整備されれば、北関東を代表する庭園になるだろう。 |