普門寺は建長寺を開山した蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)の門派である説厳和尚(せつがん)によって、室町時代(1390)に創建された。現在は臨済宗妙心寺派の寺院となる。境内の枯山水「観音補陀落の庭」は、僧侶の玉淵坊(ぎょくえんぼう)が江戸前期に作庭されたと伝わる。昭和56年(1981)には国指定名勝を受ける。
まずは「観音補陀落山の庭」の全体写真を元に図解していく。かつては阿武山を借景にした枯山水であったが、近代化に伴い山が見えなくなったことにより、木で囲むようになったとのこと。両側に枯滝石組、2つの出島を繋ぐ石橋、枯池の前方には岩島群を設けている。
玉淵坊(ぎょくえんぼう)は桂離宮にも携わったとされる。そのためか、出島を繋ぐ石橋付近の意匠は、桂離宮で天橋立に見立てた意匠と類似している。
枯滝石組と天橋立に似た意匠をもつ石橋を撮影。ひときわ高い立石は滝水が流れ落ちる姿に見立てた水落石であり、両側の滝添石と組み合わさることで三尊石手法をみせている。
右手の枯滝石組。こちらにも石橋を架けている。奥にある立石が水落石とした枯滝石組だろう。
角度を変えて撮影すると、石橋の手前にある石が水を左右に分ける水分石であることが分かる。このことから枯滝石組と判断した。
こちらが庭園中央の護岸石組で囲まれた出島であるが、池泉と出島の高さが同じになっているため、池泉が2ヶ所に分かれているように感じてしまう。
こちらは「庭園文化研究所」を設立した作庭家の森 蘊(もり おさむ)にて、昭和55年(1980)に造られた「三尊石七福神五菩薩写経堂南庭」である。つまり七五三石組である。
庭園マニアでなければ、先ほどの国指定名勝庭園よりもこちらの枯山水に目を奪われることだろう。
刈込みと石組の融合ぐあいが絶妙であるが、三尊石は左側の三石か、右側の三石になるのは判断付かなかった。
こちらは平成になって作庭された苔庭である。山門近くの庭も同時期のものとのこと。
手前が森 蘊(もり おさむ)による「心字の庭方丈四面」であり、その奥に国指定名勝庭園「観音補陀落山の庭」という地割りになっている。
心字池を模した枯池。
枯池の周りは洲浜風のあしらいが施され、洲浜に小さな石組をいくつか置いているのが他に例をみない意匠だ。
○ | 江戸前期、昭和、平成の時代が異なる4つの庭園を一同に楽しめる。どれもまったく異なった意匠であるのも良い。 |
× | 特に見当たらない。 |