宝筐院は平安時代に白河天皇によって善入寺として開基された勅願寺。室町時代に夢窓疎石の弟子であった黙庵周諭が中興し、足利義政の時代に宝筐院と改名するが明治初めに荒廃。その後50数年を経て再興。庭園は昭和41年(1966)に「昭和の小堀遠州」と称えられた作庭家・中根金作によって作庭された。
枯池の汀に大きめの石を敷いた州浜により、苔庭と枯池を見事に融合させている。
枯池には岩島を配しており、また奥行きのある感じが良い。このように感じるのは枯池に繋がる枯流れを設けているからだ。次に枯流れを撮影。
枯流れから先ほどの枯池を撮影。
枯流れの上流は枯滝石組となっているが、草木により美しい姿を隠しているのが残念でならない。
元の場所に戻り、今度は南側(左手)を眺めていく。
蛇行を繰り返す枯流れで、かつ護岸も大小の石を不規則に配置することで単調にならない工夫をしている。私が宝筐院で最も感銘を受けたポイントだ。
枯流れの先には、また別の枯池へと繋がる。
こちらの枯池はまた趣向が異なり、三尊石風の石組や勢いのある石などを配し、先ほどの枯池よりも力強さを感じる。
そして枯池からまた枯流れと導かれ、敷地を斜めに横断するような形で、枯滝石組→枯流れ→枯池→枯流れ→枯池という地割りになっている。
庭園入口から直線に伸びた延段。両側には良質な苔庭が広がり、11月になれば賑わいを見せるが、嵐山ではまだまだ隠れた紅葉スポットといえるだろう。
書院と平行に園路を設けており、長方形と正方形の板石を組み合わせたモダンな意匠だ。
緑豊かな園内には四季折々の花が植えられつつ、枯池と枯流れを設けた回遊式の近代庭園。いつもと違う嵐山散策を楽しみたい方に最適な場所だろう。
○ | 枯池と枯流れの意匠が美しく、特に蛇行した枯流れは見逃せないポイントである。 |
× | 枯滝石組が草木で半分ほど隠れてしまっている。 |