三菱財閥の創設者である岩崎弥太郎の長男である岩崎久弥(ひさや)の本邸として明治29年(1896)に建築。洋館はロンドン生まれの建築家で、日本で初めて本格的な西洋建築教育を行ったジョサイア・コンドルによって設計。庭園は植木職人7代目・小川治兵衛(おがわ じへえ)の長男にあたる8代目・小川治兵衛(通称:白楊)によって作庭された。
三菱財閥の創設者である岩崎弥太郎ゆかりの庭園といえば、真っ先に清澄白河が思い浮かぶが、長男・久弥の本邸が庭園と共に残されている。まずは2階ベランダより和館の庭園を見下ろす。
洋館のベランダは現代でも色あせない見事な意匠であり、かつ直射日光を防ぐという景観と実用性を兼ね備えた設計になっている。
江戸時代は高田藩榊原家の屋敷であり、大名庭園のような庭園であったとのこと。洋館の建築により、それと対峙できる庭として芝庭を用いた庭園になった。植木職人7代目・小川治兵衛は庭園に芝生を初めて用いたことで知られ、その長男によって作庭されたことも芝庭に変化を遂げたことを物語っている。
ベランダから石灯籠を望む。
洋館と和館を繋ぐ通廊沿いに中庭を設けている。これほど巨大な沓脱石はなかなかお見かけするものではなく貴重なものだろう。
和館前には左手に枯山水、正面にこれまた巨大な飛石を配置している。敷地面積が広大であり、それに負けないよう巨石を選定したのだろうか。
芝庭から和館を望む。
ジョサイア・コンドルによる洋館はまるで大使館のような装い。ちなみに日本では建築物から庭園を眺める設計が多いが、洋館では庭から洋館を眺める設計が多い。和館と洋館が並んでいる旧岩崎邸ではそのことが理解しやすく、和館からの庭園の眺めを重視しており、芝庭からは洋館が美しく眺められる様に苑路を設けていることが分かる。
庭園の南西部には巨大な石燈篭は、広大な芝庭を引き締める役割を持たせている。
桜と洋館を撮影するが2023年は開花が通年よりも10日ほど早く散り始め。なお洋館・和館では土日祝日は室内からの風景撮影などはできないため注意が必要である。なお屋外では常時撮影できる。
○ | 洋館と和館が並び、それぞれに見合った庭を作庭している。洋館では芝庭から洋館を眺め、和館では室内から庭を眺める。このような日本と西洋の違いを学べる庭園である。 |
× | 特に見当たらない。 |