江戸幕府によって開園された小石川御薬園は、現在は東京大学の附属施設となり小石川植物園と呼ばれている。日本庭園は、江戸初期に徳川綱吉が幼少の頃住んでいた白山御殿の庭園に由来する。小石川植物園は明治10年(1877)に開園し、日本庭園は昭和30年(1950)に修復されている。平成24年(2012)に「小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)」として国指定名勝を受けている。
緊急事態宣言は解除されたものの都立公園は軒並み休園であったため、まだ未訪問の小石川植物園へ花見と庭園取材に向かう。周辺駐車場は満車であったが、千川通りのパーキングメータは多数空いていたので、60分で巡ってみることに。
正門から5分ほどで日本庭園に到着。桜並木から離れていることもあり、まるで平日に訪れたような静けさ。
第5代将軍・徳川綱吉が住んでいた白山御殿の庭園に由来しており、池泉回遊式庭園の面影が残されている。特筆したいのが、空の広さである。ここが都心であることを忘れるほどの空間であり、これを味わうだけで小石川植物園へ訪れてみても良いと思ったぐらいだ。
手前の中島には切り石橋が架かり、奥は出島となっている。護岸石組は高さを揃えた低い石を並べ、力強さはないが品の良さを感じさせてくれる。
オレンジ色の建物は、明治9年(1876)に建築された旧東京医学校の本館である。
中島に架かる石橋は、切石ながらも美しい意匠だと感じた。
かつては千川上水から、この滝石組から池泉に水が流されていた。現在では涸れているので専門用語的には「涸滝石組」と呼び、元々水が流されていない「枯滝石組」と区別する。正面の青石による平面の立石は水落石と思われ、滝水が流れる石である。そして滝には橋が渡されていることから、玉澗流(ぎょくかんりゅう)の手法となる。玉澗流とは、安土桃山時代の作庭であり、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフ。背後に大きな築山を造り、その間から滝を落とし滝の上に石橋を架けるのが特徴である。他には和歌山の粉河寺庭園や、名古屋城 二之丸庭園などでみられる。
桜並木では、多くのファミリーが桜を愉しんでいた。
蜜を避けるためブルーシートが敷けないこともあり、このような自然豊かな写真が撮影できた。
桜並木の規模はそれほど大きくないため、庭園と花見を合わせて1時間で十分に巡れる規模であった。
小石川植物園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 都心にありながら空が広い池泉回遊式庭園。また玉澗流(ぎょくかんりゅう)の手法となる枯滝石組も見学できる。 |
× | 特に見当たらない。 |