大正13年(1924)、重森三玲28歳の初作品。この地にあった茶室「天籟庵(てんらいあん)」の茶庭「松籟園」として自宅に作庭。平成22年(2020)のおかやま国民文化祭で、吉備中央町が庭園「美の世界」というテーマで催しを行う際に再整備された。
明治29年に、この地に生まれた重森三玲は、全国500ヶ所の庭園を実測調査をし、「日本庭園史図鑑(全26巻)」を出版する庭園研究家としての地位を確立。また自身も作庭に携わり、代表作に東福寺 本坊庭園(京都)や漢陽寺(山口県周南市)などがある。
松籟園は枯山水であり、平成22年(2020)に再整備されるまでは竹藪に覆われ荒廃していたとのこと。
枯滝石組が組まれ、大徳寺 大仙院書院庭園の不動石、観音石を思わせるような立石を主体として構成。
枯山水の枯流れは赤線に囲まれた領域である。再整備直後と思われる写真では砂紋が描かれていた、訪問時は砂紋は跡形もなかった。枯山水といえど、日々整備しないと本来の姿は保たれないことがよく分かる。枯流れの川上と川下に青色の▼マークが舟石である。
川上にある舟石を近づいて撮影。沈んだような感じになっているのは、蓬莱山から宝(不老不死の妙薬)を持ち帰って戻りゆく姿の「戻り舟」を表現しているのだろう。この宝の重さで沈んだような表現になっているのである。
一方、川下にある舟石は宝を積んでいない入り舟と考えられる。
松籟園の枯流れ川下を撮影。枯流れのなかに飛石が配置しており、写真の右手には蹲居(つくばい)が設けられている。その右手には、かつて茶室「天籟庵(てんらいあん)」があったが、現在は重森三玲記念館に移築保存されている。
蹲居を近づいて撮影。周辺は田畑と山が広がるのどかな田舎町で、ほぼ当時の姿のままだろう。このような地から、昭和を代表する作庭家に登り詰めたことは興味深いものがある。日本庭園ファンなら、いつかは訪れたい憧れの地である。
重森三玲 生家跡 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 重森三玲28歳の処女作にして、この造形力に驚かされる。 |
× | 整備不足で枯山水の砂紋が失われていた。 |