紫式部公園は昭和58年より着工された都市公園。紫式部が越前を訪れたことを記念する公園で、平安時代の庭園を再現した国内唯一の寝殿造り庭園となる。
平安時代の貴族の住宅と一体となった庭園形式である「寝殿造り系庭園」は、現存するものは存在しない。ただ、神泉苑と大覚寺嵯峨院(京都)では、寝殿造り系庭園は現存しない。京都の国指定名勝「大覚寺 大沢池」の池畔にある名古曽の滝跡や底湖石にその遺構を垣間見られるぐらいである。そのようななか、国内初となる寝殿造り庭園を模した庭園が紫式部にゆかりのある越前市に造られた。寝殿造りの特徴である釣殿(つりどの)が池の上に造られている。
釣殿(つりどの)とは魚釣りをする場所ではなく、納涼や宴を行うテラスのような場所である。住居部にあたる寝殿と渡り廊下で繋がれており、京都の夏の暑さをしのぐために水辺に施設を設けている。
釣殿からは出島の先端は州浜処理をしており、古庭園の美しさを感じるところである。
こちら側には汀に立石を囲むように岩島がある。この立石は池中立石と呼ばれ、藤原氏によって作られた毛越寺の浄土庭園(岩手県平泉町)などで見られる。
左から釣殿、池中立石、州浜となり平安時代の庭園の美学を感じとれる1枚だ。借景への連続性も見事であり、昭和に造られた庭園でありながらも古庭園を十分に感じさせてくれる。
平安時代後半から鎌倉時代に造られた浄土式庭園でよく見られる朱色の橋がある。左から反橋・中島・平橋となっており、橋を渡りきると橋を渡りきると極楽浄土に辿りつくようになっている。浄土式庭園では横浜の称名寺が有名である。
先ほどの地中立石にフォーカスを当てた写真。
出島を囲むように岩島が並んでいる様子は毛越寺と類似しており、荒々しい磯場を表現した荒磯(ありそ)の石組だろうか。
池泉西部から反橋・中島・平橋を撮影。こちらからの借景の採り入れも見事である。
池泉西部には苑路に沿って、遣水(やりみず)を設けている。遣り水とは水源から池泉に注ぐ水路であり、寝殿造り庭園において、外部から水を引き入れて庭園に造った流れである。
左が中島であるが、中島にお州浜と荒磯風の意匠を造っており細部にまでこだわっている。
寝殿エリアは枯山水のような石組がみられるが、意図は分からない。
四季花壇も枯山水のようになっている。2024年に開業する北陸新幹線「越前たけふ」駅により、ここを訪れる観光客が徐々に増えていくのだろう。
紫式部公園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 昭和に作庭された庭園であるが、国内唯一となる寝殿造り庭園を見学できる貴重なところである。また州浜や池中立石など細部にこだわっており、古庭園の雰囲気を十分に感じ撮れる名園である。 |
× | 特に見当たらない。 |