成田山新勝寺
なりたさんしんしょうじ
成田山新勝寺は平安時代(940)に創建した真言宗智山派の大本山。仁王門の西側、大本堂の北側に石庭が作られている。この石庭は昭和43年(1968)に明治時代を代表する作庭家・小川治兵衛(植治)の甥・岩城 亘太郎(せんたろう)によって作庭。
江戸末期(1831)に再建された仁王門(国指定重要文化財)の西側の石積みに、思わず眼が留まった。
誰も注目しない石積みであるが、枯滝石組となっていることに気づく。
斜面を利用して巨石を組み、二段落としの枯滝石組としている。滝水が流れる水落石の岩肌が、まるで流水しているようなところが素晴らしい。
さらに注意深く観察すると、滝上部に石橋を渡す玉澗流(ぎょっかんりゅう)の手法がとられている。玉澗流とは、安土桃山時代の作庭であり、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフ。背後に大きな築山を造り、その間から滝を落とし滝の上に石橋を架けるのが特徴である。代表例としては、和歌山県紀の川市の粉河寺庭園や、名古屋市の名古屋城 二之丸庭園などが挙げられる。
昭和43年に建立された大本堂の北側にも石積みがある。
こちらにも枯滝石組。切り立った地形に巨石を積み上げた様子は力強さを感じる。
石積みには多くの羅漢像のような銅像が祀られている。
成田山新勝寺の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 仁王門の西側にある枯滝石組が玉澗流になっており、見応えがある。 |
× | 現地に石庭情報が全くないため、知識がないと楽しめずもったいない。 |