皇位を退かれた天皇(上皇(じょうこう)という)の御所。江戸時代初期(1630年)に完成。1854年の大火で焼失後、上皇がおられなかったこともあり、その後茶室以外の御殿等の建物はなく庭園だけとなった。庭園は江戸時代の有名作庭家・小堀遠州も携わったが、その遺構(いこう)はほぼ残っていない。現在は宮内庁の管理となり事前予約で参観可能。遺構:痕跡
事前予約が必要な仙洞御所。訪問5日前にネット申し込みの抽選に漏れたが、当日予約ではすんなりチケットを入手。当日受付は北門(地図にピンをおいています)にて、11時30分前頃から配られ、11時40分頃に到着して並ぶこともなく入手。一方、宮内庁管轄庭園で最も人気の高い桂離宮の当日券は、朝6時から並ぶこともあるようです。
仙洞御所ツアーで、1つめの庭園は御常御殿(おつねごてん)にある南庭。参観は30人ぐらいの単位でツアー形式。ツアー末尾には警備員がつき、移動中はゆっくり撮影はできない。
続いて北池。仙洞御所はどの方向を眺めても自然のみとなる「純度100%の自然借景」である。
北池には舟が停泊している。そう、ここは平安時代の寝殿造りの庭にみられる池泉舟遊式庭園を江戸時代に再現している。
阿古瀬淵(あこせきがふち)に架かる石橋は六枚橋と呼ばる。6枚の切石で反りを持たせている。
ここから、ツアーはノンストップで南池まで歩いていきます。南池の見所である洲浜。洲浜とは池泉の水を美しく魅せる技法であるが、こちらの洲浜に敷かれた11万1千個ほどの丸石の大きさが揃っているのが見事である。
こちらは南池にかかる八ッ橋。藤棚になっているが、見頃はとうに過ぎ去っていた。ちなみに、八ッ橋とは橋の種類のひとつで、複数の板をジグザグにした形状を表す。由来は無量寿寺(愛知県知立市)のカキツバタの池にある八ツ橋。現在では、八枚とは限らずハナショウブの池などでよく見られる。
八ッ橋から「もみじ橋」を捕らえる。もみじ橋で北池と南池が繋がる。庭園作庭当初は北池と南池が分離された地割(じわり)だったとのこと。ちなみに、この写真は焦点距離70mm(35mm)換算で撮影してトリミング。100mmぐらいの望遠レンズがあったほうがいいだろう。地割:庭園設計による配置
庭園の最も南にある茶室・醒花亭(せいかてい)。パンフレットにあるように書院側面の障子も開放して欲しかったなぁ。と
醒花亭付近から南池を望む。苔、洲浜、池泉のバランスが良い。
苔と散策路が美しかったので、箸休め的な1枚。
南池をぐるっとまわってきて、再び八ッ橋に戻ってくる。
明治17年(1844)に、公家(くげ)の五摂家(ごせっけ)に数えられる近衛(このえ)家より献上された茶室・又新亭(ゆうしんてい)。 公家:日本の朝廷に仕える貴族 五摂家:トップ5
先頭御所案内図。南西(左下)のエリアが当時は寝殿などがあった。 [ 案内図を拡大する ]
○ | どの方向を眺めても借景は自然景だけとなる。また京都の宮内庁管轄で最も予約が取りやすい。午後の参観枠で半分以上が当日予約に割り当てられているようで、11時30分前に北門へ訪れれば当日予約できる可能性が高い。 |
× | ツアー形式で自由に散策できないため、ゆっくり撮影するのは厳しい。 |