天理教 飾東大教会は系列協会であり、明治42年に設立された。敷地内には池泉庭園と枯山水があり、昭和34年(1959)に現在の神殿が完成した同時期に作庭されたものである。大正時代から続く島津造園の島津長治によって作庭された。なお島津造園は既に閉業している。一般公開はしていないが、事前問い合わせによって見学できる。
天理教の敷地にある日本庭園では、天理教 越乃國大教会の敷地に残された幸若遺跡庭園(福井県敦賀市)もある。こちらの庭園は自由に見学できる空間にないため、施設の方にお願いして見学させていただいた。
当日は毎月22日に行われる祭典の前日であり、タイミングよく代表の紺谷清一郎会長に庭園を案内いただいた。まず驚いたのが池を跨ぐ渡り廊下。
護岸石組には巨石が使われ、豪壮な雰囲気をもつ池泉回遊式庭園になっていた。また池泉は心字池となっている。
渡り廊下から西側を眺める。木々の剪定などは信者によってメンテナンスされており、近年多くの樹木を伐採したとのこと。以前の写真を拝見させていただき、見比べたが、かつては刈り込みにより石組が弱まっていた。現在の姿の方が石組主体となり素敵だと感じる。
長石を多用した滝石組も立派だ。
豪壮な滝石組。
巨大な石灯籠の足元には、鹿苑寺庭園(金閣寺)の九山八海を思い出すような岩島を配している。九山八海石とは、古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つという巨大な須弥山があり、その須弥山を囲む九つの山と八つの海を表現した石。要は仏が住する清らかな世界・浄土の意味を強調している。
書院から池泉回遊式庭園を額縁庭園で撮影。
先ほどの書院で振り返ると、枯山水がある。ひとつの書院から、この規模感の池泉庭園と枯山水を見られるところは極めて少ない。
こういった石庭をみるときには、石の数を数えてしまう。想像どおり15石あるため、七五三石組であることが分かる。後ほど、会長の持参した島津造園の写真集をみると「北面の石庭は15個の石で七・五・三の虎の子渡しで形成」と紹介されていた。
どの石組が七石組、五石組、三石組であるかの明示はないが、大体の予測は付く。写真左の三尊石は三石組。北側に並ぶ7石で七石組という感じだろう。
「虎の渡し」とは、虎が3匹の子を産むと1匹が凶暴な「彪(ひょう)」となり、親がいないと他の子を襲う。そのため3匹の子供を対岸に渡すために、親虎は、彪と他の子を二人きりにしないよう、まず彪を対岸に運び、次にもう一匹を運び、戻って彪を連れ帰り、残りの子を運び、最後に彪を連れて渡る、という3往復半の苦労をするという中国の故事に由来するものである。龍安寺の石庭も「虎の渡し」という説もある。そして、この角度から石組を眺めれば、手前の2石が子虎、左にある大きめの伏石が凶暴の彪(ひょう)とみることもできるだろう。
とすれば、砂盛が親虎と見立てることもできるだろう。
| ○ | 豪壮な池泉回遊式庭園と、七五三石組による「虎の子渡し」の石庭を同時に観賞できる。 |
| × | 特に見当たらない。 |