正伝寺は鎌倉時代(1268)に創建した臨済宗南禅寺派の寺院。室町時代の応仁の乱(1467-1477)にて荒廃したが、江戸時代に南禅寺の金地院崇伝(こんちいんすうでん)より、伏見桃山城の御成御殿が移築され現在の方丈となり再興。庭園の作庭時期も方丈完成時期とされ、枯山水の作庭は小堀遠州とも伝わるが、方丈完成の数年前に没していることより、金地院庭園の作庭家であった小堀遠州に関連づけられたものとされる。昭和9年に日本庭園史の研究家・重森三玲と林泉教会によって再整備。
京都市内から外れた場所にあり観光客があまり訪れないエリアにある正伝寺。ここは「デビッド・ボウイが涙した静寂」として2016年に日本経済新聞にて紹介された庭園マニアでは知られた寺院である。その由来は昭和54年(1979)に宝酒造のCMで「時代が変わればロックも変わる」というキャッチフレーズでデビッド・ボウイが出演したことに遡る。詳細は後述するとして庭園の話に戻そう。正伝寺の枯山水は、白砂敷き・刈込み・白壁・比叡山の借景へとシームレスな構成が特徴である。
七五三調の刈込みとなっており、右から左に向かって徐々に低くなっている。「名園の見どころ(著:河原武敏)」によると、右の七組の刈り込みは、手前に1、2の刈り込み。奥に3~7と紹介されているが、7番目の刈込みが見当たらない。時代の流れによって枯れたのか、もしくは6の刈込みと一体化したのか詳細は不明である。そして中央の五組、左の三組となる。石組で七五三組は大阪の豊國神社 秀石庭などで見られるが、刈込みによる七五三調は他に例を見ない。
7つの刈込み(現在は6つとも)は、ヒメクナシ、アオキ、サザンカ、サツキ、ナンテン、ヤブコウジ、チャの混植となっている。4月には白壁の奥にシダレサクラが先、5月にはサツキが色づく。
刈込み、白壁、比叡山と続く。
延段は自然石を配置した「草の延段」であり、石をランダムにあしらった「あられこぼし」の手法で力強い。
方丈より額縁庭園を撮影。
最後に「デビッド・ボウイが涙した静寂」に話を戻そう。CMはこのような全景ではなく、白砂中央にデビッド・ボウイが座って焼酎を飲むところをアップで撮影されており、一部刈込みと白壁が見える程度で、撮影場所を特定できないレベルだ。撮影中に宝酒造の宣伝部長がデビッド・ボウイが庭園を眺めながら涙しているのをみたことから、「デビッド・ボウイが涙した静寂」と記事タイトルがついている。ただ、涙した理由は聞くことができず、謎に包まれたままである。
○ | かつては石組で行っていた造形を、刈込みで表現するといった新たな表現を生み出している。また京都市内では修学院離宮に次ぐ美しい借景をもつ。 |
× | 特に見当たらないが、借景を愉しむのであれば逆光となる午前中は避けた方が良い。 |