洲崎寺は平安時代初期(806)に弘法大使(空海)により創建された古刹。その後消失するが、江戸初期(1699)に再興されて現在に至る。平成12年(2000)に再興三百年を記念して京都の藤井造園にて「屋島壇ノ浦の戦い」を表現した庭園が作庭された。
苔と石で「屋島壇ノ浦の戦い」を表現した庭園。写真中央の築山にY字に置かれた長石で屋島を表現、築山を囲む白砂で相引川を表現している。
屋島に見立てた石組を本堂前から眺めと、長石は確かに屋島のように見えてくる。そして写真手間には舟石を据えている。
屋島の東側にある築山は、八栗寺のある五剣山に見立てている。入り江のような空間に石が整列している。近づいて撮影してみると、、、
このようになっており、これは「舟かくし」と表現されていた。戦に利用する舟を格納している様子を表現しているのだろう。
舟石のように見える赤石は、源平合戦の名場面「扇の的」に見立てたものだ。馬に乗った弓の名手を表現したのか、的となる小舟を表現したのかは定かではないがユニークで面白い。赤石の奥にある石も、ひび割れた石を組み合わせたようなもので味わい深い。
亀石のようにもみえるが、こちらは五剣山に見立てた石組だ。
相引川を横切り屋島に向かって石が並んでいるのは、読み方が難しい赤牛崎(あかばざき)である。当時は相引川が浅瀬であり、赤牛が浅瀬を渡る様子にちなんで赤牛崎(あかばざき)と呼ばれている。
確かに、浅瀬を牛が渡っていようにみえる。
イサム・ノグチ美術館からほど近い場所にある洲崎寺は、知られざるユニークな庭園の名所だと思う。このような空間が常時開放されているので、気軽に立ち寄って源平合戦を想像してみて欲しいと思った。
源平の庭 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 古庭園の定石にとらわれず、源平合戦に見立てることを優先したユニークな枯山水は見ていて楽しい。 |
× | 特に見当たらない。 |