聖徳寺は安土桃山時代(1593)に創建された浄土真宗真宗佛光寺派の寺院である。境内の庭園は江戸中期に京都の庭師によって作庭されたものであり、昭和56年(1981)に長岡市の指定文化財に登録されている。
事前に電話連絡をして見学させていただいた庭園。裏門が開いていれば自由に庭園見学できそうな雰囲気であったが、確実なことはいえないため電話予約が良いだろう。まずは書院からの額縁庭園を撮影。
まず目に留まったのが池泉に並ぶ岩島である。聖徳寺の庭園に興味を持つような庭園好きであれば、夜泊石(よどまりいし)を思い出さずにいられないだろう。夜泊石とは蓬莱へ向かう集団船(宝舟ともいう)が、夜のうちに船溜まりに停泊している姿を抽象的に表現したものといわれる。寺院公式サイトには「北前航路の千石船が大阪の港から大和の石と京都の庭師を乗せて来て、檀信徒多数の勤労奉仕により築かれたものと言い伝えられています。
」と説明されており、石が船で運ばれてきたことにも由来しそうなところだ。
夜泊石らしき岩島を石橋越しに撮影。夜泊石の代表例としては鹿苑寺庭園(金閣寺)や養翠園(和歌山)が挙げられる。
夜泊石の向かう先はこのようになっており、まるで蓬莱山のような光景ではなかろうか。
蓬莱山と推測する石組に近づいてみる。名石で構成されており、これが大和の石なのだろうか。
蓬莱山と推測する石組から池泉を見下ろす。入り江にある岩島は書院から見ると奥行きのないものにみえたが、上から眺めると、このような巨石であったことに気づく。
池泉の護岸は詰杭(つめぐい)のようなものが打たれている。詰杭(つめぐい)は池の波が直接土手にぶつかるのを防ぐものであるが、こちらは護岸石組を補強する目的だろう。
中庭には枯山水があり、住職によると30~40年ほど前に作庭されたとのこと。ということは昭和後期か平成初期の頃である。
正面から眺めると、このような石組であり、丸みを帯びた柔らかい印象を受ける。
境内からは日本海を眺められる。
○ | 夜泊石と蓬莱山を彷彿させるような岩島と石組が庭園マニアの心をくすぐる。 |
× | 特に見当たらない。 |