正善院は三徳山三仏寺の三院のひとつで天台宗の寺院である。創建は江戸初期であり、境内には当時の庭園が残る。平成24年(2012)に火災によって全焼。平成27年より国や県などの補助を受け令和2年(2020)に再建。
江戸後期に鳥取藩主が訪れ、写真の「池の間」から庭園を観賞し山上の文殊堂(もんじゅどう )を礼拝したと伝えられる。私は、池の間でお抹茶を頂き、かつ住職による案内を拝聴できる特別セットを楽しむことに。通常の抹茶サービスの場合は、隣の参籠室(さんごしつ)であり室内からは庭園は見られない。なお通常見学で「池の間」を含む室内から見学できるのでご安心を。ちなみに参籠室とは祈願のため寺院に籠もる部屋のことである。
トイレに向かう廊下より撮影。右手の書院が「池の間」であり、その奥が茶室となる。建物は沓脱石の時代に合わせて明治時代の様式で再建されているが、庭園は江戸初期のまま修復されている。
池泉庭園は鶴亀庭園となっている。分かりにくいので図解してみると、、、
このようになっている。現地でのお話と文化財指定庭園保護協議会の文献から中島は鶴と亀に見立てた鶴亀島。水位の低下で分かりやすい浮石。そして山畔には遠山石と推測される立石。また直線状に配置した岩島は夜泊石(よどまりせき)。こちらも私の推測であるが、住職に伺うと夜泊石の可能性もあるという専門家もいたとのこと。
夜泊石と推測した岩島は滝に向かって並んでいるようにもみえる。夜泊石は蓬莱へ向かう宝舟が、夜のうちに船溜まりに停泊している姿を抽象的に表現したものといわれ、代表的なものは山口県宇部市の宗隣寺 龍心庭が挙げられる。
護岸石組は穴太積み(あのうづみ)といわれる手法とのこと。これは比叡山の麓にある坂本に穴太衆と呼ばれる石工集団による工法である。
庭園南部に滝石組があるが、二滝あるのに気づくだろうか。
図解するとこのようになっている。右手が流水している滝石組で、左が枯滝石組となっている。かつては、枯滝石組に流水していたとも。
滝石組の西側を覗くと、まだ庭園が広がっているではないですか。
こちらは前庭の枯山水である。
苔むした3つの築山で、阿弥陀・釈迦・大日の三仏三徳を表している。
書院を挟んで前庭の枯山水と主庭の池泉庭園が造られている。
建物は石の上に立てられ、柱は石の形に合わせて削ることで石に完全固定される。まさに匠の技だ。
○ | 護岸石組が穴太積みであるのが希有。滝石組を境にすることで、池泉庭園と枯山水が分離されているのではなく一連になっているのが良い。 |
× | 特に見当たらない。 |