尾張藩2代藩主・徳川光友(みつとも)の隠居所が起源となる徳川園。第二次世界大戦で焼失後は都市公園となったが、その後日本庭園とし再整備され、愛知万博の開幕にあわせて平成16年(2004)に徳川園として開園。作庭は伊藤邦衛(くにえ)であり、広島空港の三景園などの庭園作庭に携わっている。
江戸時代の徳川家屋敷庭園を復元した徳川園は、現在では池泉回遊式庭園であるが、屋敷庭園時代は舟から庭園を観賞する池泉舟遊式庭園であった。
池泉と築山が接するエリアには、巨石で組まれた守護石が目を惹く。
芝生続きの洲浜(すはま)、洲浜に沿って沢飛び石が敷かれている。また室町時代以降、日本庭園でよく見かけるようになった蘇鉄(ソテツ)により異国情緒を生み出している。洲浜:池泉の水を美しく魅せる技法
池泉には鶴亀島が造られている。亀であることは一目瞭然であるが、鶴はどこだろうか? 答えは、亀島に植樹された黒松を鶴と見立てるのである。
焦点距離180mmの望遠撮影してみると、切石による石橋の奥が渓谷のようにもみえてくる。
徳川園のみどころでもある「龍門の滝」。これは日本庭園では一般的に「龍門瀑(りゅうもんばく)」といわれ、鯉が滝を登り切って、龍になったという中国の故事である龍門瀑伝説に基づく滝の形式である。よく見ると滝の真下に岩があるのが分かるだろうか。
拡大してみる。これは鯉に見立てた鯉魚石(りぎょせき)と呼ぶ。龍門瀑にはこのような鯉魚石があり、代表的な庭園では、京都の鹿苑寺庭園(金閣寺)や天龍寺 曹源池庭園などでみられる。
「龍門の滝」の上段には池泉がある。池泉に立つ石灯籠は、これまで見たことなく珍しいものだろう。
徳川園東部に進むと、新緑に囲まれた静かな空間。そこには「大曽根の瀧(おおぞねのたき)」と呼ばれる落差6mの三段落としの滝石組がある。
上段、中段、下段それぞれ岩の組み方が異なるため、水飛沫の表情もそれぞれ変化がある。
西湖堤(せいこてい)を望む。西湖堤とは、中国の上海市から新幹線で1時間ほどの距離にある杭州市の西湖を模した石造りの堤である。日本庭園では、中国の庭園を縮景した養翠園(和歌山)で本格的な西湖の堤をみられる。
徳川園案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 十分な水量のある龍門瀑や大曽根の瀧に近づいてみられる。 |
× | 園内からマンションなどが見えてしまう。 |