江戸時代にこの地で徳川幕府の直轄地(天領地)13ヶ村を収めていた大庄屋(最上位の村役人)が平家である。前庭の作庭家は不明だが江戸中期に作庭されたと伝わり、昭和53年に県指定文化財に登録される。奥座敷に面した後庭は、修学院離宮の庭師・広瀬万次郎によって大正中期に作庭されている。
地元の広報誌で「能登庭園文化の代表格」と称された平家庭園(たいらけ)は座敷から鑑賞する書院庭園である。平家庭園は前庭と後庭に分かれるが、メインとなる前庭から見学していく。まずは座敷から額縁庭園を眺めるが、北陸地方でこれだけパノラミックな額縁庭園を楽しめるところはないだろう。
心字池の後方になだらかな築山を造り、中心部に枯滝石組を設けている。また枯滝石組の手前には石組による出島を造っている。家主の説明では出島が亀に見立てた亀出島とのことである。また亀出島の先に汀に少し高めの立石があり、こちらが鶴に見立てた鶴石組とのこと。鶴と亀は向かい合っていることが多いので亀石をみつけると、その近くに鶴石が置かれていることが多く、鶴亀石を探す手がかりになる。
枯滝石組は上下二段になっている。下段の石組は滝添石にさらに右手に立石を設けることで、三尊形式の石組になっているのが分かるだろうか。類を見ない意匠で、園内随一の見どころだ。
枯滝石組下段の三尊石。水が流れ落ちる水落石は苔付き風合いを出している。枯滝石組の中程はほぼ平になっており、その奥にある遠山石を連想させる山形の石(写真では半分見切れています)が枯滝石組の上段となる。
枯滝石組のある築山から右手を眺めると、右手に石橋が見つかる。
池泉は書院沿って流され、その池泉に架かる石橋は実に風合いが良い。
続いて築山の稜線に沿っておかれた石組にフォーカスを当ててみる。
巨石による二石組の奥に六課系の石幢「六地蔵石幢(せきとう)」が立っている。取材時は気づかなかったので、このようなアングルの写真しかないが六角形の各面に地蔵菩薩が刻まれた室町時代の石幢である。
続いて東部を撮影。書院に沿って飛石を打っている。池泉の対岸に目を向けてみると鶴石がある。
先ほど説明した鶴石があり、鶴石は汀に整列する三石の立石の左側になる。岩島に見立てた伏石、汀に整列する三石の立石、そして左奥にある横石と見事な配置である。
後庭に面した座敷へ移動。
後庭は前提よりも新しいが、修学院離宮の庭師・広瀬万次郎によって深山幽谷を連想させるように作庭したとのこと。
内縁には土間を設けており、雪国ではよく見られる。内縁の土間としては、金沢にある国指定名勝「成巽閣(せいそんかく)」が最も美しいため見学して欲しい。
表門から屋敷に導かれる延段。
○ | 上下二段の枯滝石組、池泉に架かる石橋、池泉沿いの立石など細部に優れた意匠をもつ石川県屈指の名園。 |
× | 特に見当たらない。 |