江戸前期に常陸国笠間藩初代藩主・本庄宗資の下屋敷に作られた大名庭園。その後、安田財閥の安田善次郎の邸宅となり、大正11年に東京都に寄贈。関東大震災で被害を受けるが、改修されて昭和2年(1927)に一般公開。2019年より日没後から閉園までライトアップを開始。
両国国技館の近くにある潮入り回遊式庭園。江戸時代に造成されたときには隅田川から水を引き込み、潮の干満によって池の水位が変化し、それによって見え隠れする護岸や岩島などの景観の変化を愉しむ「潮入り」の技法が使われている。昭和40年頃に隅田川との分断されたが、現在は貯水槽によって人工的に潮入を再現している。(2022年1月頃まで、潮入を再現するポンプの修復工事とのこと)
池泉には中島がある。亀島という記載はないが、左側に斜めに据えた巨石が亀頭石、右側の伏石が亀尾石にも見える。
手前の石が、亀頭石と推測したものである。正面には蓬莱山にもみえる山形の巨石を据えている。そして護岸石組には小石川後楽園の「徳大寺石」に似た板状の石がある。
先ほどの板状の石がある護岸石組。この石を滝の水が流れる水落石と見なし、水落石の手前にある岩島を水分石とした滝石組と見立てることもできる。水落石:滝石組の中心となる石で、滝水が落ちる部分に配置された石。水分石:水を左右に分ける石
中島を別角度から撮影。右側の伏石は亀尾石と推測した岩島である。
さらに別角度から中島を撮影。
沢飛石。写真は水位が高く渡れないが、水位が低くなると渡れるようになる。役所に確認したところ、16時に水位が最も低くなるようにポンプが設定されているが、現在、干潮を再現するポンプが現在故障中のため干潮は再現できていないとのこと。2022年1月頃には修繕工事が完了予定とのこと。(2021年5月時点情報)
左が中島であり、こちらの護岸石組にも板状の石を用いている、
太鼓橋から撮影した石組。特に案内板がなく注目しない人が大半であるが、こちらは枯滝石組となっている。頂部の山形の石が遠山石となり、遠山石の下にある白っぽい石が、水が落とされる様子に見立てた水落石となる。
こちらの出島にも沢飛石があり造られている。こちらは訪問時には気づかなく、このような分かりにくい写真になっているが、雪見灯篭に繋がる沢飛石が水位がさらに高いと水に埋もれる。googleストリートビューには埋まった写真が掲載されていた。
旧安田庭園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 「潮入り」の技法がみられる貴重な庭園であり、日没後閉園までの期間は毎日ライトアップしているので、夕暮れ時に訪れるのも情緒あって良い。 |
× | 特に見当たらない。 |