明治から昭和にかけて活躍した日本画家・川合玉堂が71歳から余生を青梅市で過ごした。昭和天皇の皇后の支援の元、多くの方から寄付を受け、昭和36年(1961)に玉堂美術館が開館。敷地内には都内では、数少ない枯山水が設けられ、元総理大臣・吉田茂や田中角栄の邸宅の造園を設計した造園家・中島健によって造られた。
川合玉堂の展示物が詰まった美術館を抜ければ、枯山水の庭園が現れる。都内では枯山水は少なく貴重なものだ。低い築地塀(ついじべい)にて仕切られているが、塀奥にある渓谷の気配を感じさせてくれる。築地塀:土を固めて作った塀
借景には標高759mの高水山などの山並みが控え雄大である。ただ、視線をずらすとアパートや電線などが視界に入ってしまうのは残念なところ。
玉堂美術館の入り口方面を望む。焦点距離18mm(35mm換算)の超広角レンズで撮影。延段の左手にはゆるやかな曲線を描く刈込みがあり、曲線と直線のコントラストが効いている。
大きめの玉石を粗く敷いた「霰崩し(あられくずし)」の延段。延段が入れ子となっている意匠に造園家・中島健のデザインコンセプトを感じさせる。
庭園の端から枯山水を撮す。庭園は北側にあり、13時頃に訪問したため、このように影ができてしまった。撮影に主体を置くのであれば、11時頃が良いだろうか。庭園だけを撮影するのであれば、影による明暗がでない曇り空もいいだろう。
枯山水の石組は10石あり、龍安寺の石庭(京都)にあるような絶対的な視点場を設けておらず、様々な視点から石組の変化を愉しむ様になっている。
美術館に戻り金屏風に描かれた紅白梅を眺める。
美術館を出て垣根の隙間から枯山水を覗いてみると、庭園内から見られなかった風景が、、、
こんな感じの隙間から眺めています。チケット売り場から丸見えのポジションですので、美術館を退出後に撮影するようにしたほうがいいでしょう(笑)
○ | 都内では希有な枯山水。元総理大臣・吉田茂や田中角栄の邸宅の造園を設計した造園家・中島健の作品が見られる。 |
× | 背景に木々の隙間から電線やアパートなどが入ってしまうのは残念なところ。ただ、木々が茂る夏前後に訪れれば借景は山並みだけになるだろう。 |