江戸初期(1611)に築城された弘前城。明治28年(1895)に「弘前公園」として一般開放され、日本100名城にも登録される。昭和63年(1988)に弘前城植物園が開園。弘前城植物園では、江戸後期(1808)に作庭され昭和58年(1983)に修復された三の丸庭園と、昭和58年(1983)に作庭された大石武学流庭園を見学できる。
弘前公園内にある有料エリアである弘前城植物園に、三の丸庭園と大石武学流庭園がある。まずは江戸後期に茶人・野本道玄により作庭された三の丸庭園から紹介。芝庭に曲線を多用した枯池を設けている。
築山には角柱型の自然石を立てた枯滝石組を造り、川原石で水の流れを表現している。
枯滝石組に近づいて撮影。垂直に立てられた自然石と、強い傾斜を付けた自然石が向かい合うように組まれ、滝の水流と力強さを表現している。
平地に川幅の広い枯池を造り、芝庭との境には池汀護石を並べている。出典:弘前城三の丸庭園遺構の調査(奈良国立文化財研究所)
三の丸庭園北西部。
芝庭には大小様々な景石を据えている。
出島のようにみえる芝庭には三尊石風の石組がみられる。
続いて、弘前植物園の南東部にある大石武学流庭園を紹介。植物園の端にあるため訪れる人は少ない。こちらは武学流6代目を次ぐ外崎 亭陽(とのさき ていよう)によって作庭されている。
大石武学流庭園では、沓脱石から礼拝石(らいはいせき)、つくばい(蹲踞)に向かう2方向の飛石が連なり、礼拝石を中心に蹲踞の対をなす位置に二神石を造るのが定石であるが、こちらでは蹲踞と二神石の位置が逆になっている。大石武学流庭園の基本形である国指定名勝の盛美園の記事と合わせて理解を深めて欲しい。
こちらは二神石。二神石とは、七福神のうち2つの神に見立てた石のことであり二神前とも呼ばれる。
続いて、つくばい(蹲踞)
そして池泉に向かって伸びる飛石の先にある礼拝石。通常、礼拝石は庭園のビューポイントであるが、大石武学流では供え物を置いて、神仏礼拝するためで乗ってはいけない石である。そのためか、一段大きな石となっている。
池泉の奥に設けた小高い築山に、ひときわ大きな立石を据えて、表情のある巨石で滝石組を表現している。また手前の岩島から時計回りに岩島が3石並び、弘前城 二の丸庭園でみられたような夜泊石風の意匠も確認できる。
奥にある2ヶ所の岩島。その奥には僅かに小滝も確認できる。
○ | 江戸時代に作庭された枯山水と、昭和に宗家によって作庭された大石武学流庭園の両方を楽しめる。 |
× | 特に見当たらない。 |