本楽寺は平安時代(828)に創建した真言宗御室派の寺院である。何度か火災に遭うが、江戸末期(1864)に再建して現在に至る。境内の枯山水は重森三玲に師事していた齋藤忠一(ただかず)により作庭。作庭時期はお寺の方に伺うと40年ほど前とのことなので、昭和後半となる。
『サライの「日本の庭」完全ガイド』で本庭園を知り、気になっていた庭園のひとつ。吉野川と阿讃山脈(あさんさんみゃく)を借景とした枯山水。大海に見立てた白砂に鶴と亀が泳ぎ、舟石が蓬莱島へ向かう様子を表している。
亀石組が具象的で、手前の立石が亀頭石だろう。
鶴石組を別角度から撮影。
この角度から見ると両側の平石を羽石と見立てているのだろう。
舟石。舟石とは蓬莱山から不老不死の妙薬を運ぶ様子を表現したものである。池泉庭園では、舟石が連なって停泊している様子に見立てた夜泊石というのもある。夜泊石の代表的なものは、山口県宇部市の宗隣寺 龍心庭が上げられる。
本楽寺の枯山水は四国八十八景に登録されているため枯山水のみの寺院だと思っていたが、訪問してみると池泉回遊式庭園もあった。正確には池泉はなく、滝のある回遊式庭園と表現するのが正しいだろう。岩肌を活かした地形に急峻な滝石組を創っている。パンフレットの解説がないと気づかないが、写真の中段左には、巨石、横石を脇侍石とした三尊石を組んでいる。
ほぼ自然の地形を活かした滝石組。そしてパンフレットには「龍門瀑と鯉魚石」と表記されているので、鯉魚石を探してみると見つかりました。分かりますでしょうか?
こちらです。滝壺に立てた立石が鯉魚石となります。パンフレットに記載されているが、この鯉魚石に触れている記事などはネットでは見つかりませんが、こちらで間違いないでしょう。鯉魚石とは、中国の鯉が滝を登ると龍になるという故事「登竜門」にちなんだ鯉を石に見立てたものである。もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したのを「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼ばれる。
滝頂部には石橋を架けている。しっかりした厚みがあるようにみえるが、真横から撮影してみると
このような華奢な薄い板石である。滝石組に石橋を架けているものは玉澗流(ぎょっかんりゅう)と呼ばれる。ただパンフレットに龍門瀑に触れつつも、玉澗流に触れていないことから、玉澗流を意図したわけでなく苑路として設けた石橋なのだろうか。
滝頂部から水平移動していくと、敷石に誘われるようにして茶室へ案内される。寺院の案内版を拝見すると、茶室も自由に利用できるようになっている。なお茶室の貸し切り利用されているときは、もちろん利用できない。
室内から額縁庭園を撮影するとが、庭園というよりかは紅葉ですね。
岩盤のうえに茶室を建てている。
○ | 山を借景とした枯山水は多いが、川も借景にしているのは本楽寺だけではなかろうか。また自然の地形を活かした龍門瀑も圧巻だ。 |
× | 特に見当たらない。 |