臨済宗建長寺派の寺院である宝徳寺は室町時代に創建。その後荒廃するが、江戸中期に再興。庭園は平成12年(2000)に住職にて作庭。
アクセスに恵まれたエリアではないが、近年イラスト御朱印や床モミジで参拝客がふえてきている宝徳寺。山に囲まれ雄大な借景に恵まれ境内には3ヶ所の庭園がある。まずは、白砂と石だけの石庭のある本堂南庭から参拝。
白砂敷きに7石だけを据えた石庭。石庭の名勝「龍安寺(京都)」に類似しているが、宝徳寺では苔も排除している。また石組は一石,二石組,三石組を基本単位として組まれるのが定石であり、宝徳寺は七石組は「3・3・1」となっている。
左の三石組は直線上に配置している。通常、石組は立体感や奥行もなくなるため直線に配置しないが、視点場からみて斜め配置され、立石、横石、伏石を使うことで直線配置ながらも単調さを排除している。
先ほどの直線配置の三石組を別角度から眺めると、奥に行くにほど大きな石を据え奥行き感を表現している。
高台から枯山水を見下ろせる。現在は塀になっているが、作庭当初は生垣であった。
本堂南西部には、丸みを帯びた巨石の集団石組による池泉庭園が造られている。
池泉北部には滝石組を造っている。これほど多くの石で組まれた滝石組も珍しい。
滝石組の最下段にある黒石は、滝水が伝う水落石(みずおちいし)であり、その両脇には滝添石を組んでいる。
池泉庭園のビューポイントとなる礼拝石(らいはいせき)の正面には集団石組。崩石積(くずれいしづみ)のような積み方である。崩石積は、石を垂直に積む方法のなかで京都で発達した伝統的な手法であり、石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされ、旧古河庭園(東京)で同様の石組が見られる。
数ある灯籠のなかでも独特の魅力を放つ「織部灯籠」。基礎がなく竿を直接地中に埋め込み、竿の上部にアルファベットの文字が刻まれている。また「織部灯籠」では、竿下部にキリスト像が彫り込まれていることが多い。これは江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか、密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といられる切支丹灯籠(きりしたんとうろう)と呼ぶ。切支丹灯籠は、山水園(山口市)の写真を参考にして欲しい。
3つめの庭園は枯山水であり、生垣に囲まれた敷地に飛石で苑路が造られ周遊できる。
宝徳寺のイラスト御朱印のモチーフとなっている「しあわせ地蔵」が境内に点在。この地蔵を探すことを楽しんでいる若い女性が何人もいた。
石庭に向かう延段沿いには枯山水があり、訪問時期は風鈴まつりが開催され、願いを書き込んだ風鈴が沢山架けられている。
室町時代創建の古刹ながらも、宝徳寺では若い方が気軽に参拝してもらえるよう様々なイベントを開催している。
○ | 平成に作庭された現代の庭園ながらも完成度は高く、またイラスト御朱印や床モミジなどイベントを開催して、気軽にお参りできる環境を作っている。 |
× | 特に見当たらない。 |