近松寺は鎌倉時代(1302)に創建された臨済宗南禅寺派の寺院である。その後、焼失するが安土桃山時代後期(1598)に現在地に再興。庭園は豊臣秀吉に仕えた曾呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)によって、再興時期となる安土桃山時代に作庭されたと伝わる。
安土桃山時代に作庭されたと伝わる枯山水「舞鶴園」と呼ばれ、左の松が「虹の松原」、右が「西の浜」、正面は海に見立て、全体として「唐津湾頭」の風景を模している。「唐津湾頭」は誤字かと思ったが、湾の一番奥を湾頭と呼ぶようだ。つまり視点からは唐津湾沖合から唐津市内を眺める光景であり、言い換えれば舟からの景色を模しているともいえる。
白砂で唐津湾を模しており、芝庭で出島を設けている。ただ安土桃山時代には芝庭を使った庭園は聞いたことがないので、後世に改修されたと推測する。
芝生で覆われた中島の右手には、飛石で茶室「拈華庵(ねんげあん)」に誘われる。
茶室「拈華庵(ねんげあん)」は唐津藩主・小笠原の茶室を昭和5年に再興されたものである。
露地門にはキリシタン燈篭がある。キリシタン燈篭とは江戸時代の茶人・古田織部が好んだ燈篭で織部燈篭とも呼ばれる。これは江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といわれている。また近松寺にはキリシタン燈篭が三基残されているので探してみよう
拈華庵の露地を撮影。
露地は茶室の西側と南側の2ヶ所設けている。南側の漆喰には真円の石を品の形状にして模様に埋め込んでいる。同じ意匠ではないが、修学院離宮の隣雲亭をヒントにしたのだろうか。
舞鶴園と本堂を望む。数年前まで白砂は本堂の手前5mほどのところまでで、舞鶴園との境に柵を設けていたが、現在は本堂から繋がっているように改修されていた。
境内案内図には切木(きりご)ボタン園となっているところは、現在は枯山水を造っている。切木ボタンとは4月に見頃を迎える佐賀県の天然記念物である。
枯山水の中央に築山を設けているがよく見ると樹木がみえる。もしかしたら切木ボタン園の周りを枯山水にしたのだろうか。推測になるが切木ボタンのシーズンオフになっても、枯山水として観賞対象となる空間になるように改修されたのだろうか。だとしたら素晴らしい発想である。
数多くの石燈篭を拝見してきたが、竿が空洞になっているタイプは初めて見た。手持ちの文献やインターネットで調べても出てこないタイプである。竿と竿の上部が分かれているようにもみえるので、もしかしたら竿は元々レンガのような石で、その石を建てて竿として再利用したのだろうか。
切木ボタン園の隣には池泉庭園を設け、中島のようにみえるが出島風の築山となり、頂部に釈迦石堂を置いている。
築山を活かして滝石組を造っている。丸みを帯びた石が多く、柔らかな雰囲気を出している。
近松寺の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 近松寺には安土桃山時代に作庭されたと伝わる枯山水をはじめ、露地、池泉庭園と日本庭園の三要素が揃っている。 |
× | 特に見当たらない。 |