「日本の都市公園100選」である中島公園は、明治22年(1889)に岡田花園として開園。明治42年に中島公園と改称される。日本庭園は昭和38年(1963)に日本初の公園デザイナーとして知られる長岡安平によって作庭された。園内には小堀遠州が滋賀県長浜市に立てた茶室が見られる。
アイヌ文化時代が長く続いた北海道では、古庭園といわれるの日本庭園は松前藩の誕生した松前町ぐらいでしょうか。こちらの日本庭園も昭和に作庭されたものであるが、秋田市の千秋公園、東京の芝公園などを手掛けた日本初の公園デザイナーとして知られる長岡安平によって作庭されたものだ。
まずは汀を美しく魅せる洲浜が印象的。その先に2つの島を配置して切石で繋いでいる。
訪問日は桜が満開であるゴールデンウィークということもあり、開園から30分もすると多くの人で賑わっていた。
中島には中心石を配している。
洲浜の先に岬灯籠、その先には2島を繋ぐ切石。この構図、京都にある日本最高峰の庭園「桂離宮」に類似していると思うのは私だけだろうか。
日本庭園には枯山水がみられるエリアもある。3石、5石で組まれた石庭である。
左奥の石灯籠は、アメリカのポートランド日本庭園にある「ピース ランタン(友好と平和の石灯籠)」と呼ばれる雪見灯籠のレプリカであり、ポートランドから札幌市へ寄贈されたものである。
蹲踞(つくばい)に織部灯籠を配置しているが、茶室が近くにないところに蹲踞があるのは、いささか不自然か。
あまり注目されないが、この茶室は小堀遠州が建てたと伝わる茶室「八窓庵」である。小堀遠州の居城があった滋賀県長浜市で建てられ、移築されたものだ。その後、遠州茶道宗家の小堀宗慶が「遠州好み」の露地を作庭する。
遠州好みの露地ということもあり、織部灯籠の蹲踞を設けている。手水鉢の側面には僧侶らしきものが彫られているのが印象的だ。織部灯籠については、山水園(山口市)の記事を参考にして欲しい。
護岸石組はなく、低い杭で護岸を補強した杭列護岸にすることで、芝庭と池泉に連続性を持たせている。
日本庭園の敷地を離れ中島公園を散策すると、まるでヨーロッパの公園を思い出すような光景が広がっていた。
明治政府が建てた唯一のホテルとされる豊平館(ほうへいかん)。室内の見学もできるので、時間がある方は立ち寄ってみては。
中島公園 日本庭園案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 近年の庭園ではあるが、北海道では見応えのある庭園のひとつである。また、小堀遠州によって建築された茶室も見逃せない。 |
× | 特に見当たらない。 |