七宝といえば並河靖之(みなかわ やすゆき)と濤川 惣助(なみかわ そうすけ)と「二人のナミカワ」と評された七宝作家。並河家庭園は、植治の屋号で知られる7代目・小川治兵衛(おがわ じへえ)によって明治27年(1893)に作庭され、平成15年(2003)に並河靖之七宝記念館が竣工。
植治の作品は、日本庭園にまだ一般的ではなかった「芝生」を使ったことと、自然の小川のような「流れ」に特徴がある。並河家庭園は植治のデビュー作でもあり、琵琶湖疎水から七宝の研磨用に水を引き、その余水が池に注いでいる。その2年後に代表作となる無鄰菴が作庭され、こちらでも琵琶湖疎水を使い、かつ「芝生」が使われるようになった。
建築物と庭園は融合しており、応接室は池泉の上に立てられている。これは同じく植治によって作庭された松田屋ホテル庭園でも同じ事例がみられる。
池泉には中島、そして右奥には沢飛石を設けている。これは対岸に渡る「池渡り」でありよく見られる形式である。
切石による石橋、出島の飛石、そして反橋と続いている。
滝口は滝石組のようにみえたが、近づいてみると滝石組ではなさそうだ。
立派な一文字手水鉢は鞍馬石を彫って仕上げたものである。植治は晩年になると、ひとつの設えが際だつようなことを控えるようになり、植治初期の作品であることを印象づける要素でもある。一文字手水鉢では、豊臣秀吉から寄贈されとされる青蓮院門跡が有名である。記事先には一文字手水鉢は未掲載。
最後に内縁をもつ応接室より額縁庭園。腰付障子に横長のガラスをはめ込んだ横額障子を使い、内側の障子を閉めても庭園を観賞できる。腰付障子とは、障子の下部に腰板を張り、不注意で足で破れないようにしたもの。一方、腰板がなく下部全体がガラスのものを「雪見障子」と呼ぶ。
並河靖之七宝記念館 並河家庭園 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 植治の代表作となる無鄰菴の創作に繋がるデビュー策となった庭園。繊細な七宝と庭園を同時に観賞できる芸術が詰まったスポットである。 |
× | 庭園を回遊できる範囲が狭く庭園の全貌が掴みにくい。石橋と切石を回るところまで開放されることを期待したい。 |