縮景園は大名庭園として江戸初期(1620)に、千利休と師弟関係をもつ上田宗箇(うえだ そうこ)によって作庭。1783年に京都庭師である清水七郎右衛門によって大改修されている。昭和15年(1940)に国指定名勝を受ける。
跨虹橋(ここうきょう)がトレードマークにもなっている縮景園。景勝地の一部を縮めて表現した縮景式庭園の代表格。訪問したのが、紅葉シーズンの土曜日午後だけに多くの人で賑わっていた。
中島を映波橋、昇仙橋、望春橋の3つの反り橋が角度を変えながら連なる。
駐杖榻(ちゅうじょうとう)から、縮景園で最上の石組を魅せてくれる積翠巌(せきすいがん)を望む。積翠巌は蓬莱式石組で三尊石でもある。写真中央の巨石による立石が三尊石。この三尊石がある築山が、不老不死の仙人が住む蓬莱山に見立てられている。
蓬莱式石組であれば、鶴亀に見立てた石組が存在することが多く、縮景園の濯纓池(たくえいち)には12の中島があり、それらが鶴島・亀島となっている。積翠巌の近くには、蒼雪島(そうせつとう)、滴翠島(てきすいとう)、緑蘋洲(りょくひんしゅう)を配している。
超然居から積翠巌を望むと、画面中央に蒼雪島(そうせつとう)、右手に緑蘋洲(りょくひんしゅう)がみえる。
跨虹橋から庭園東武を望むと、清漣島(せいれんとう)と小蓬莱(しょうほうらい)の鶴亀島が見られる。
迎暉峰(げいきほう)から庭園東部を眺める。
ふたたび、積翠巌(せきすいがん)と蒼雪島(そうせつとう)。
原爆の爆風にも耐えた跨虹橋。人で賑わう大名庭園は、歩く距離も長く、撮影タイミングの待ち時間も長く、平日の朝一に訪れるべきだったかも。
縮景園の案内図
○ | 積翠巌周辺の石組が美しく、また濯纓池に浮かぶ鶴亀島はそれぞれ品格を感じさせる。 |
× | 規模の割りには見どころが少ない。 |