宇和島城に伊達政宗の孫に当たる2代藩主・宗利(むねとし)が居城大改修で、宇和島湾の一部を埋め立てて「浜御殿」を造営したのが天赦園の始まり。7代藩主・宗紀(むねだた)のときに現在の天赦園にほぼ近い形として改造され、江戸末期(1866)に完成して「天赦園」と名付けられた。昭和43年(1968)に国指定名勝を受ける。
標高962mの尻割山を借景とした国指定名勝の池泉回遊式庭園。池泉に出島を2ヶ所作ることで、眺める場所によって景が大きく変化していくので、ゆっくりと苑路を散策していきたい。なお借景となる尻割山は愛媛最大級の夜景スポットであり、車で山頂まで行ける。舗装はされているが小石の落石も多く、一般にはお薦めできないが、夜景好きは満足間違いなしの光景である。
天赦園の魅力は役石にある。まずは子孫繁栄を願う陰陽石は見逃せない。写真右手の立石が男根に見立てた陽石である。陰陽石では岡山後楽園が庭園界では知られている。
出島の岬にある山形の立石が、女陰に見立てた陰石となる。
中央の中島が蓬莱山とされ、左手の岩島は三尊石のように配列されている。その奥には白玉上り藤であり、池泉に架かる橋のような意匠を設けている。
陰陽石のある出島の付根部分に2019年にリニューアルされた茶室「春雨亭」。重要文化財であるため、元素材を活かした改修である。入室はできないが屋外から額縁庭園の撮影もできる。
池泉西側の蘇鉄山(そてつ)には、蓬莱石がある。ちなみに蘇鉄が日本庭園に使われてのは室町時代と古く、日本庭園の最高峰とされる桂離宮にも植樹されている。
池北側の遠路沿いには三尊石を配しているが、植栽に囲まれやや分かりにくい。中央の立石は宇和島と鬼門を守る守護石も兼ねている。また右側の脇侍石は凹凸があり、中国の庭園でよくみられる太湖石(たいこせき)だろうか。詳しくは中国四名園の首位に君臨する庭園「拙政園(せっせいえん)」の記事を参考にして欲しい。
南側の出島から東側へ向かう苑路。竹林、苔庭、丸石による飛石という意匠であり、その先には枯流れ(ガイドマップには枯川と記載)へと続く。
枯流れには、水流を左右に分ける水分石を配しており、奥が上流となる。
上流には枯滝石組を造っている。
天赦園には「そっくり石シリーズ」を眺めていくのも面白い。園内には5つほど「そっくり石」があるが、2つを紹介していこう。枯流れにある虎が吠えているように見える虎吠石(こほうせき)と、起きた牛の横側にそっくりの起牛石(きぎゅうせき)である。
起牛石(きぎゅうせき)に近づいてみると、確かに・・・
七代藩主、伊達宗紀(むねただ)がお茶を嗜まれた茶室の露地にも陰陽石がある。左が陽石で、右が陰石となっている。庭園を紹介するWeb記事で陰陽石を取り上げているサイトは多くはないが、子孫繁栄を願う庭園のシンボルでもある庭園ガイドでは、長寿を願う鶴亀蓬莱石同様に積極的に紹介している。
天赦園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 2つの出島と、枯流れにより苑路を進む毎に景観に大きな変化が見られる地割りが素晴らしい。また「そっくり石シリーズ」などの遊び心があるのも良い。 |
× | 特に見当たらない。 |