有楽苑は昭和を代表する建築家・堀口捨己氏(すてみ)によって監修された日本庭園で、昭和47年(1972)に開業。敷地内には名古屋鉄道によって移築された国宝茶室「如庵(じょあん)」や復元茶室などが見学できる。2019年より3年かけて修復工事して2021年に再開された。
国宝茶室3名席といえば京都市大山崎町にある千利休の妙喜庵待庵(みょきあんたいあん)、京都にある小堀遠州の密庵(みったん)、そして織田信長の弟である茶人・織田有楽斎の如庵である。妙喜庵待庵は予約制で全面撮影禁止、密庵に至っては完全非公開となっており、如庵のみ常時見学可能である。また如庵は外観の撮影は可能であり、さらに毎月内部の見学会が開催されている。(ただし内部での撮影は禁止)
柵の外側から如庵の外観を撮影。江戸時代(1617)に建築された茶室と露地が移設されている。外観は妙喜庵待庵同様に、壁面の一部を後退させて、くぼみを作ったアルコーブ状の庇付きの土間に「にじり口」を設けている。また天窓も設置されていることも分かる。
露地には飛石を2方向に打ち、一方は蹲踞(つくばい)、もう一方は井筒に向かっている。蹲踞とは茶室に入室するまえに手を洗うところで、水を張る手水鉢とその手前の前石、および両サイドの石で構成されている。
こちらの蹲踞(つくばい)は3つの役石が地表と、ほぼ同じ高さになるように埋め込まれているのが珍しい。また手水鉢は「釜山海(ふざんかい)」という銘を持ち、波に洗われてできた水穴の石を用いた類を見ないとのこと。ちなみに釜山海は秀吉が織田有楽斎に与えたものと伝わる。
有楽好みの井筒は「左女ケ井」という銘を持ち、室町時代の茶人・村田珠光(じゅこう)が堀った井戸「佐女牛井(京都)」にちなんで名付けている。
如庵に隣接した旧正伝院書院の庭にある蹲踞。これは如庵が京都の正伝院に建築されたことと関係がある。そしてこの蹲踞も如庵にあるものと類似した意匠であり、低い位置につくられた。降り蹲踞の一種だろうか。
続いて、茶室「弘庵(こうあん)」に隣接した場所にある枯山水。
全体的に低く抑えられた石組で池泉に見立てた白砂に切石橋を渡し、近くに遠山石とも思えるような立石を建てている。
続いて茶花園に設けられた池泉庭園。
巨石による滝石組が迫力ある。
続いて、織田有楽斎が大阪・天満に構えた茶室を古図にもとづいて有楽苑築造時に復元した茶室「元庵(げんあん)」の露地である。こちらには腰掛待合を設けている。
三井家の大磯別邸にあった含翠門(がんすいもん)に続く苑路は、桂離宮を思い出させるような風格を感じる。
案内人に2つの国宝を一緒に撮影できるポイントを教えていただいた。奥に国宝・犬山城、そして国宝・如庵。なるほど、これは教わらなければ気づかなかった。
○ | 予約不要で国宝茶室3名席を見学できる唯一の場所。また桂離宮を思い出させるような含翠門に続く苑路も見事である。 |
× | 特に見当たらない。 |