法泉寺庭園
ほうせんじていえん
出羽国米沢藩の第2代藩主・上杉定勝が、足利学校で修業させた九山和尚を呼び寄せて法泉寺を学問所とし、かつ京都の天龍寺を模して庭園を造らせたと伝わる。作庭時期は江戸初期とされ、米沢三名園のひとつとされる。
昭和初期に境内を横断する道路ができて庭園が縮小され、かつ池の水も涸れて涸池となった。そのため、池泉回遊式庭園として分類している。写真中央左手に立石がみえるだろうか。おそらく蓬莱山に見立てたのだろう。そう考える理由は後述する。
望遠レンズで先ほどの蓬莱山と考える立石を撮影。
中島には2石の石組。
恐らく亀島だろう。亀島があるということは鶴島があることが多い。すると鶴島は土橋が架かっている中島だろう。この赤松を鶴に見立ているとも推測できる。すると先ほどの立石は鶴亀庭園によく見られる蓬莱山と想定でき、鶴亀蓬莱庭園だともいえる。
○ | 具象的な亀島の造形が美しく、また土橋の風合いもよい。 |
× | 池泉の雑草を手入れ中に訪問したため、池泉と陸地の境目が薄くメリハリが弱かった。 |