池田城跡公園は、池田城跡に平成12年(2000)に整備されて公開された。庭園は一部遺構を復元されているが、大半は開園同時期に、中根庭園研究所によって設計され造園されたものである。
天守閣風の休憩舎と庭園を楽しめる池田城跡公園。こういった庭園の魅力は高い場所から庭園を見下ろせることである。その代表格は岸和田城 八陣の庭だ。こちらは重森三玲によって作庭された枯山水を天守閣から見下ろせる。
さて、天守閣風の展望休憩舎に上がってみると、洲浜をもつ池泉庭園が広がっている。また、池底には栗石が敷かれている。
洲浜はコンクリートで固められているのは、やや興ざめなところがあるが、子供たちが立ち入ってしまうことを考えるとやむを得ないものだろう。
庭園の大半は平成になって作成されたものであるが、こちらの区画は池田城の発掘調査に基づいて遺構の復元がされた枯山水となっている。池田市が発行した「池田城跡 主郭の調査」によると、石材は五月山および、猪名川から採取されたものであるとのこと。
石組は三尊石風の石組が二組みられる。
池泉へと続く枯流れには、青石の巨石を用いた石橋が架けられている。
枯滝石組は巨石を用いているが、全体的に丸みを帯びた石を使い力強さよりも優しさが感じれる弱いものだ。
茶室「桂冠亭」。茶室の名のいわれは 案内板によれば「冠を桂け去って」から来ていると説明されているが、その意味は調べても分からなかった(笑)。躙口(にじりぐち)に向かって飛石が打たれている。躙口は千利休が考案したものとも言われ、身分の高い人でも頭を下げて入る必要があり、茶室では階級に関係なく、すべての人が平等であるという意味を込めて造られている。
茶室までのアプローチを図解。赤線の延段に沿って腰掛待合へ進み、ここで茶会を主催する主人の迎えを待つ。そして露地門を抜けて茶室へと向かうのである。
赤線の入口方面を撮影。このように自然石を並べた延段で導かれている。このように自然石のみで構成された「草の延段」。ちなみに切石のみのものを「真の延段」、自然石と切石が混ざったものを「行の延段」と呼ぶ。各延段の写真は笹離宮(長野県茅野市)の記事を参考にしてほしい。
東門近くには枯山水が設けられている。
野筋の巨石が山並み、白砂で大海を表現している。
ちなみに天守閣風の展望休憩舎からの池田市の眺めは爽快だ。もし夜間も開放されていたら夜景が美しいだろう。
池田城跡公園の案内図。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 展望休憩舎から池田市の街並みを眺めつつ、池泉庭園を見下ろせる。まるで大名になったような気分を味わえる。 |
× | 特に見当たらない。 |