滄浪亭は956年(日本では平安時代)に造園した蘇州最古の庭園。その後、荒廃を繰り返し、清の時代となる1696年(江戸中期)と1873年(明治初期)に造営されたのが現在の原型となる。世界遺産であり、蘇州四大名園でもある。
回廊は外側と内側の分かれているところがあり、滄浪亭では限られた空間に多くの苑路を造っていた。
中国庭園でのおなじみの洞門(どうもん)。洞門とは庭園と庭園を繋ぐ出入り口の役割であり、額縁庭園的な要素を果たしているところもある。
洞門をくぐると、竹の庭園が広がる。滄浪亭では様々な竹が植樹されている。そういえば、日本庭園でおなじみの松は蘇州の庭園では出会わなかった記憶であり、代わりに竹が多く見られた。また竹とあるところには石筍(せきじゅん)と呼ばれる細長い立石を据えていることが多く、写真の右手に何石がみられる。石筍については、蘇州庭園の怡園の記事を参考にして欲しい。
蘇州古典園林で2階部に立ち入れたのは、滄浪亭だけではないだろうか。ここでは何枚も重ねた瓦屋根にも注目したい。
凹凸のある太湖石(たいこせき)は、中国で好まれる石であり、日本同様に神が宿るとされている。
敷地の外側の運河に面した回廊もある。滄浪亭では苑路が面白く、歩を進める度に景色が変わっていく。
こちらは可園。もともとは滄浪亭の一部であり、2015年より一般公開されている。滄浪亭のチケットも可園であり共通券となっている。購入後はどちらから訪問しても良い仕組みであったため、先に滄浪亭を訪問していた。
滄浪亭より敷地面積は狭くなるが、池泉はこちらのほうが広く取られている。
鍵穴状の洞門と、花瓶状の洞門。洞門の形は様々である。
鍵穴状の洞門で庫裏取られた額縁庭園。
可園には芝生の広場が広く取られている。2015年に再整備されたことにより造られたのだろうか。また中国庭園では地面に石や瓦やガラスなどを使って伝承文様や幾何学模様を描いた鋪地(ほち)がみられる。これは明の時代から伝わるもので、中国庭園の見どころのひとつである。
こちらは小石を敷き詰めた鋪地(ほち)でデザイン性が高い。特に石の面積の狭い方を上にして模様を造ることできめ細かい絵柄が浮き上がる。
最後に迫力ある太湖石と洞門の組み合わせ。滄浪亭+可園は、蘇州古典園林では混雑さもひどくなく、見応えもあり、総合的に一番のお気に入りに感じた。
○ | 滄浪亭では、コンパクトな敷地に趣向を凝らした苑路や回廊が張り巡らされて、それほど混雑もしておらず庭園散策が楽しい。 |
× | 特に見当たらない。 |