柳川藩士の隠居所として江戸後期に建築された邸宅。昭和53年(1978)に国指定名勝の登録を受ける。平成16年(2004)に一般公開され、そのタイミングで戸島氏邸から旧戸島家住宅に名称変更された。
柳川エリアから少し離れたところに位置する戸島家住宅。掘割の水を引き入れて造られた築山山水である。
縁側から池泉庭園を望む。向かいのエリアは3つの築山で構成されているとのことだが、高さの低い野筋であるため、ひとつの築山にしかみえない。
茶亭軒先の沓脱石から飛石、沢飛石と弧を描くように連なり、築山に消えていくという趣向である。
先ほどの写真では刈込みにより沢飛石が分かりにくいので、角度を変えて撮影。
池泉東部には杭列護岸で囲まれた洲浜となっており、先端には伏石を据えている。杭列護岸とは、杭を水面に対して垂直に並べて護岸を保護するものであり、宮城県大崎市の旧有備館の記事も参考にして欲しい。
視線をかなり落とて、先ほどの洲浜と雪見灯篭を眺める。その奥を望遠レンズで撮影すると、、
水を左右に分ける水分石(青マーカー)と、滝に見立てた滝石にもみえる立石(赤マーカー)がみえる。庭園奥に回り込んで確認してみると、、
このようになっていた。水分石の上いパイプが渡され、パイプから水を流しているのである。当時は写真左奥からの水取口から水流があったようだが、現在はこのようになっている。ただ、水分石のうえにパイプが見えているというのは見栄えの点でも、また写真のように浮遊物が溜まるという点でもよろしくない。
庭園西部の水路から雪見灯篭を眺めると、沓脱石→飛石→沢飛石→陸地に続きやがて築山へと消えていくという趣向の後半の部分が分かる。
縁側からの眺め。池泉手前の水辺は玉石を敷いた洲浜を造り、洲浜の先には平石による礼拝石(らいはいせき)を置いている。礼拝石:庭園のビューポイント
2月に訪れたこともあり、立花氏庭園同様に雛人形が飾られていた。国指定名勝の庭園であるが、週末の昼前にもかかわらず静寂な環境で庭園観賞でき良かった。
○ | 沓脱石から続く飛石の意匠が美しい。 |
× | 洲浜奥の樹木が垂れ下がり、庭園奥の視界を遮っている。また水分石にパイプを載せている点も勿体ところである。 |