臨済宗天龍寺派の等持院は、室町初期(1341)に日本初の作庭家ともいわれる臨済宗の禅僧・夢窓疎石(むそうそうせき)により開山。開基は室町幕府を開いた足利尊氏とされる。なお開山については、おなじく臨済宗の僧侶・古先印元(こせんいんげん)とする異説もある。東部の池泉庭園は夢窓疎石によって作庭されたと伝わるが、同様に異説がある。開山:初代住職、開基:資金提供者
京都の隠れた名園として注目したいのが足利家の菩提寺でもある等持院。世界遺産「龍安寺 石庭」から徒歩13分、京福北野線「等持院」駅から徒歩6分の場所にある。それでは、書院からの額縁庭園から拝観スタート。
豊臣秀頼(安土桃山~江戸初期)により再興時に作庭された芙蓉池(ふようち)。
芙蓉池には蓬莱島とされる中島を配し、石橋を架けている。蓬莱島の奥の築山には茶室「清漣亭(せいれんてい)」があり、足利将軍家に仕えた絵師でもある作庭家・相阿弥(そうあみ)や、茶人・村田珠光らと茶道を興した足利義政好みの茶室とされる。
蓬莱島は護岸石組で囲まれ、その奥には山畔を活かした地形に枯滝石組を造っている。
蓬莱島越しに枯滝石組を撮影。
枯滝石組の頂部には巨石による滝石を据え、芙蓉池に向かって三段にも落とされ、力強く遠くからも存在感がある。山畔周辺は集団石組となり本庭園の主景だ。
書院からサンダルで西側のエリアに移動すると、深山幽谷の雰囲気を醸し出す心字池を中心とした池泉回遊式庭園がある。こちらは異説もあるが、夢窓疎石(むそう そうせき)によって作庭されたと伝わる。左が蓬莱島、右側が亀島にみえる。
蓬莱島を望遠撮影すると、立石を中心とした蓬莱石組がある。
亀島を別角度より撮影。亀の手脚となる亀脚石らしき岩島を確認できる。
続いて方丈南庭へ。2017年から3年による等持院改修工事で美しく蘇った枯山水。かつては苔が剥がれかかっていたが修復され、白砂と苔のコントラストに目を奪われる。
石の配置は変わっておらず、東西に石を列をなしているのが特徴である、分かりやすいように写真に赤マーカーを加筆している。
石が並んでいる様子。土塀は、5本の水平線が描かれた筋塀(すじべい)である。筋塀とは、皇族が出家して住職を務めた門跡寺院の土塀の壁面に、その証として5本の定規筋を引いたのが始まりであり、定規筋の数が寺の格式を表し、5本線が最高格式である。
かつては茶室「清漣亭(せいれんてい)」の敷地から芙蓉池を見下ろせたが、改修工事後は立ち入りできなくなっている。等持院には3ヶ所の庭園があり、またそれぞれ異なる趣を魅せてくれる。古庭園として著名な寺院でありながら、周辺に鹿苑寺庭園(金閣寺)、仁和寺、龍安寺 石庭があるため、やや穴場化している。
○ | 夢窓疎石による池泉回遊式庭園、等持院のメイン庭園となる江戸時代に造られた芙蓉池(ふようち)、そして方丈南庭と3つの庭園を楽しめる。 |
× | 特に見当たらない。 |