臨済宗東福寺派の寺院。創建は、室町末期(1563)に広島県安芸高田市。その後移転を繰り返し、江戸末期(1863)に現在地にあった興国寺に移転。庭園は興国寺以前に作られ、室町時代の大名であった大内政弘(まさひろ)の別邸に、雪舟に築庭させたといわれる。また本堂南側には重森三玲(しげもりみれい)による枯山水庭園が作られている。
室町時代の作庭家・雪舟と、昭和の作庭家・重森三玲の両庭園を一度に観賞できる夢のような日本庭園。山口県に訪れたら、漢陽寺(周南市)と並ぶ外せない古庭園といえよう。
遊歩道の途中にある東屋「聴松軒」付近から心字池を見下ろす。写真に記載したA~Eについて説明。Aは亀島、Bは舟に見立てた舟石、Cは鶴島。日本庭園では、中国大陸から伝わった仙人になることを目指す思想「神仙蓬莱思想」の石組として鶴島、亀島がつくられることが多い。Dは山畔石組(やまくろ)で連山を表現しており、Eは楼閣風二階建物跡である。
亀島を南側から眺める。心字池が水鏡となり石組リフレクションを楽しめる。
中央に鶴島。左手に舟石、そして右下には蓬莱石を確認できる。楼閣風二階建物跡の護岸石にも注目したい。
見所満載の常栄寺・雪舟庭でのハイライトともいえる枯滝組。滝組の奥は木々に囲まれているため薄暗く確認しづらい。そのためレタッチにて明るく処理しています。写真中央に据えた山形の石は蓬莱石。右手の石組は鶴島となる。
雪舟庭の枯滝石組は龍門瀑(りゅうもんばく)となっており、V字型の地形に7段となっている見事なもの。龍門瀑とは、鯉が滝登りに挑戦し、登りきった鯉だけが竜になるという伝説。もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したのである。写真左下の池にある石が鯉に見立てた鯉魚石である。
そして、こちらが滝登りに挑戦む鯉に見立てた鯉魚石。
龍門瀑を上段から見下ろす。龍門瀑の下段近くには鯉魚石がみえ、写真左上には山形の蓬莱石。
龍門瀑の上段~中段を望む。特に上段は立石で組まれ、室町時代らしい鋭さと力強さを感じ取れる。
本堂南側には、昭和43年に重森三玲(72歳)によって作庭された「南溟庭(なんめいてい)」がある。雪舟より良い庭園を造られては困るというころで、「上手に下手な庭を造ってもらいたい」と依頼された。庭園は雪舟が中国へ往復した海をイメージしたとされ、石はX字状に配置し有機的に線で結ばれる。
亀石組とも鶴石組にもみえる石組。
苔による築山は方丈側(本堂)を高くし、端部は洲浜形にして立体感を持たせている。
本堂から今一度、雪舟庭を眺める。池泉手前にある石のあるエリアは枯山水であり、全ての石が有機的に繋がるよう工夫されているとのこと。
山門付近には平成24年に作庭された前庭「無隠」がある。円形の地割となる枯山水庭園で、三尊石風の枯滝石組が設けられている。室町、昭和、平成の庭が同居する満足度の高い庭園である。そのため3日で2回訪問することに・・・・
○ | 雪舟、重森三玲の両庭園を拝観できる。雪舟庭とされる庭園では最大級であり、特に龍門瀑はハイライトともいえる。山門近くの平成に作られた前庭も見逃せない。 |
× | 特に見あたらない。 |