閑院宮邸跡
かんいんのみやていあと
閑院宮家は東山天皇の第八皇子であった直仁親王(なおひとしんのう)が創設した宮家。閑院宮邸は江戸前期に現在地に移築され、平成17年に閑院 宮邸跡庭園修復整備事業が行われる。また平成26年(2014)には閑院宮邸跡の西側に公家風庭園が復元された。
明治25年に建築された宮内省所長官舎跡。写真の赤線沿いに縁側があり、縁側から庭園を眺められるようになっていたことが分かる。
宮内省所長官舎の庭園特徴として、遣水(やりみず)と園池の組み合わせが挙げられる。遣水は庭園内に水を導き流れるようにする手法であり、愛知県西尾市にある旧近衛邸などでみられる。
遣水を横断するように沢飛石を配置し、遣水の起点には矢跡の残る白川石を立てている。
遣水は小さな滝となって池に注がれる。池のほとりには雪見型燈篭を置き、その奥には洲浜意匠がみられる。
池泉は護岸石組で囲まれているが、注目すべきは手前が切石護岸になっていることだ。池泉が伽藍に沿って直線的に造られている場合では切石護岸が使われるケースはあるが、このような円形の池泉で一部が切石護岸になっているのは希有なものだ。
宮内省所長官舎の縁側沿い設けられた縁先手水鉢。
東南に位置する園地。解説によれば宮家や公家が好む庭園様式を取り入れた意匠で、遺構を残したまま、その上に洲浜を復元して当時の雰囲気を醸し出しているとのこと。
訪問時は水が抜かれていたが、通常は水の張った池泉庭園になっている。
額縁庭園を撮影。
展示室とレクチャーホールに囲まれた中庭を撮影。
庭園の解説図
○ | 宮内省所長官舎の庭園の造形が美しい。遣水が緩やかに屈曲して池泉に注がれ、また池泉の形状も変化に富んだ見どころのある庭園である。 |
× | 特に見当たらない。 |