長府毛利邸は14代当主・毛利元敏(もととし)の邸宅であり、5年の歳月を経て明治36年(1903)に完成。完成前年の明治35年には、明治天皇もご宿泊。大正8年(1919)まで長府毛利家の本邸として使用されていた。その後、下関市に寄付され平成10年(1998)より一般開放された。
池泉は掘り下げたところに作られ、周囲を無数の石組で趣向を凝らしている。そして山畔を活かして大滝を作っている。
滝石組上部には、遠山石らしき石を据えている。明治時代の石橋は大振りなものが多いなか、長府毛利邸では品の良い石橋を架けている。
池泉西部には小滝(写真に青マーカを引いています)を組んでいる。滝石組下部には立石を設けて、水流を左右に分ける水分石のような役石もある。また池泉へと導かれる石段の先には舟着石もあり、水面の高さによって見え隠れする仕掛けになっている。
池泉回遊式庭園の隣には枯山水がある。築山に枯滝石組を設けており、写真中央が枯滝石組である。やや分かりにくいので、次の写真で紹介。
先ほどの枯滝石組。築山の頂部には高さ2mの立石は守護石であり、かつ枯滝石組の不動石を兼ねている。この立石自身も滝に見立てられており、この滝を起点にして渓谷風の流れを作っている。
築山の中腹からは、ゆるやかな流れを形成し、下流で先ほどの枯滝石組と合流している。写真中央の立石は、前述の守護石ではなく、陰陽石である。
正面から撮影すると、このようになっている。上の石が陽石で、下段の石が陰石である。隕石は側面に窪みが見られることから、この2石を陰陽石と判断した。陰陽石は大名庭園によく見られる石組で、子孫繁栄を願う石組だ。
続いては長府毛利邸の母屋に戻り、書院庭園を見学。まず目を見張るのが花崗岩の巨大な沓脱石だ。沓脱石と飛石との繋がりに意匠が凝らされ、右手には軒先手水鉢がある。
こちらは、明治天皇がご宿泊された書院からの眺め。手水鉢は銀閣寺の手水鉢を思い出すような直方体形だ。
明治天皇がご宿泊された書院からの額縁庭園。
中庭の枯山水には飛石で苑路を設けている。
茶室「淵黙庵(えんもくあん)」は津和野の旧堀氏庭園(楽山荘)にあったもの平成16年に移築したものだ。茶室は有料利用だが露地門から眺められ、蹲踞(つくばい)には織部灯籠を置いている。
長府毛利氏邸 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 池泉回遊式庭園、枯山水、露地の日本庭園の三要素が揃い、とくに池泉回遊式庭園と枯山水の滝石組が美しい。室内でもゆっくりと庭園観賞ができ、1時間ほどゆっくりできる空間だ。 |
× | 特に見当たらない。 |