高源寺は鎌倉時代後期(1325)に、後醍醐天皇より高源寺号をもらって創建した臨済宗幻住派の大本山。安土桃山時代に焼失したが江戸後期に再建された。その時代に池泉庭園が作庭され、方丈書院横の枯山水は室町時代に雪舟によるものと伝わる。また、高源寺は丹波屈指の紅葉名所として知られる。
高源寺には2ヶ所の庭園がある。まずは仏殿横にある心字池の池泉庭園。池泉はコの字型に造られており、現在残っているのは当初作庭された庭園の一部に過ぎない。
心字池と記されているが複雑な汀線は、まるで曲水庭園のようだ。曲水庭園とは平安時代の貴族が曲水の宴を催す庭園で、杯が自分の目の前までに流れてくるまでに詩歌を作って詠み、盃の酒を飲んで次へ流すという遊ぶものである。浜松市の万葉の森公園 曲水庭園の記事に曲水の宴を再現した写真を掲載しているので参考にして欲しい。
複雑な汀線が美しい。
薄い石橋を架け、橋添石で安定感を表現している。これは銀閣寺(慈照寺)の仙桂橋を短くしたような美しさがある。
亀出島のような意匠も確認できる。
こちらの心字池では目線を落として護岸石組の美しさを堪能したい。
心字池の先には小滝も造っている。
築山の谷に石組を組み渓谷風の枯流れを設けている。
枯流れの上流にも石組がみられる。
雪舟が作ったと伝わる築山「大痩嶺」。
書院横には亀島のような石組が残る。
再び心字池に戻る。石段を登っていくと先ほどの雪舟による築山式枯山水がある。この落差を活かして滝が作られており、その滝が次の写真である。
垂直に水が落とされた大滝。紅葉の名所とされる高源寺だけに、次回はハイシーズンの秋に訪れてみたくなった。
○ | 心字池の護岸石組や石橋が美しく、その様子を石段から見下ろせるのも良い。 |
× | 特に見当たらない。 |