識名園は明治5年目まで約450年存在した琉球王国最大の別邸であり、第15代国王・尚温王の即位式にあたって中国から訪れた正使をもてなすため1799年(江戸時代)に建築された。昭和16年に国指定名勝を受けるが、第二次世界大戦で破壊される。その後再建され、平成12年に国指定特別名勝、および世界遺産に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として登録された。
沖縄が明治12年まで琉球王国であったことより、庭園も日本庭園と中国庭園が組み合わさったような造形をみせてくれる。池泉回遊式庭園の池泉は湧水で作られている。
赤瓦屋根の御殿(ウドゥン)は五棟で構成され、琉球王国独特の建築美である。この辺りは護岸石組でなく草護岸だ。
御殿(ウドゥン)から六角堂を望む。
裏座二番、松ノ座、二番座の3つの座越しの額縁庭園。
池泉西部の舟揚場。第15代国王・尚温王の即位式にあたって中国から訪れた正使は、首里城の南にある「龍潭池(りゅうたんい)」で舟遊をした記録が残っている。こちらの池泉では舟から庭園を眺めたのだろうか。もしくは整備用の舟だろうか。
中島に架かる拱橋(きょうきょう)は左右で材質が異なる。右は切石による整然とした石橋であり、左は自然石によるくだけた石橋だ。
自然石によるくだけた石橋は琉球石灰岩によるものだ。琉球石灰岩とは中国でよく見られる太湖石(たいこせき)の仲間であり、岩肌に無数の穴がある。太湖石を多用した庭園は中国の蘇州の庭園記事を参考にして欲しい。
池泉に浮かぶ中島に作られた六角形の東屋が「六角堂」であり、屋根の形や瓦に中国的な趣を感じさせてくれる。また六角堂に繋がる石橋はひとつの石を切り出して造ったものである。
六角堂に置かれた琉球石灰岩。中国四名園の首位に君臨する拙政園(せっせいえん)にある太湖石と比べると類似していることがよく分かる。
芝護岸の出島につくられた芝で覆われた野筋にも琉球石灰岩による石組がみられる。
琉球石灰岩による石橋。
護岸石組が石垣の造形となっており美しい。また湧水の基点となっている育徳泉が庭園自体を見学できるスタート地点であるが、最初から景色の全景を見せない工夫がされているとのこと。
育徳泉から御殿に繋がる切通し道には太湖石をみせるような仕掛けになっている。
○ | 中国庭園の主要素である石灰岩を随所に活かした庭園ながらも、中国庭園のように全面押しをしておらず控えめな利用に留めているところに日本文化をみられる。 |
× | 特に見当たらない。 |