亀水町の心の拠り所となっていた「亀水のお薬師さん」に、昭和17年(1942)に「紅峰山 興願寺」となり、昭和28年(1953)に本堂が創建される。庭園は平成に作庭されたものである。
「七五三石組」を調べているときに、興願寺の記事が見つかり、本寺院にて日本庭園が見られることを知ることになる。あらかじめFacebookで連絡を取らせて取り、ご住職にお庭の説明いただいた。庭園は京都の圓光寺(円光寺)などを造園した藤井造園にお願いしたとのこと。
まずは主庭となる本堂前庭の枯山水で、苔庭には15石による七五三石組がある。また、割り竹を立て子にしたいわゆる「建仁寺垣(けんにんじがき)」の奥に生垣を設けるという二重垣だ。建仁寺垣:京都の建仁寺で初めて用いられた庭垣の手法のためこのように呼ばれる。
15石の石組については、水平に手前から3・5・7石で配列している。日本庭園では、永続性を示す縁起の良い奇数が使われることが多く、七五三石組は特に縁起が良いとされる。七五三石組の例では、京都の龍安寺 石庭や、重森三玲による春日大社「三方正面七五三 磐境の庭」などがある。
別角度から撮影。
ひとつひとつの形状が異なり、活き活きした表情をみせてくれる。
本庭園の作庭前は、手水鉢として利用してた巨石を大胆に立てることで力強さが生まれた。
さらに奥にある坪庭では、木炭を敷き詰めた砌(みぎり、雨落ちとも呼ばれる)に注目したい。これは屋根から滴る雨水の跳ね返るのを防ぐ役目であるのと同時に、銅板を伝った雨を浄化させる役割がある。浄化作用については、こちらで初めて知ることに。見た目の美しさと実用性を兼ねた「用」と「景」であり、このような雨落ちは多くの庭園でみられる。
続いて参道脇にある薬師堂。喫茶も兼ねた地元住民の憩いの場として開放されており浄財によってまかなわれている。
薬師堂を取り囲む意匠も凝ったものになっており、こちらの砌(みぎり)は「砂利」となっている。また、角にある立石は子孫繁栄を願った陰陽石であり、もう一対が別の場所にある。また瓦を利用して空を飛ぶ雁の列「雁行(がんこう)」も作られ、子供も楽しめるような意匠も取り込まれている。
薬師堂はカフェ風になっており、ご住職の地下弘生さんにサイフォンで本格的な珈琲を淹れていただいた。一切の雑味がなく、何杯飲んでも胸焼けしない優しいテイストである。
薬師堂で見つけた霰(あられ)こぼし。この一角だけで職人1日がかりとのこと。霰こぼしとは、平らな面を路面になるように敷き詰めた延べ段でありであり、霰こぼしが見どころのひとつともされる日本最高峰の庭園「桂離宮」でみたものにも劣らない創作である。
○ | 七五三石組み、織部灯籠、霰こぼし、陰陽石など古庭園の魅力が詰まった庭園。コンパクトながら見応えある。 |
× | 特に見当たらない。 |